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プラちゃんの部屋~変てこスリランカ人留学生(だった)奮闘記~

漢字間違えてても言葉変でも気にしないでね~

インド仏教徒急増!

皆さん、こんにちは!
毎日すごく暑いけど、元気ですか?
前のブログで5周年のことを書いたら、今までのお客さんからたくさんおめでとう!という
メールをもらってすごくうれしかったです!わたしたちのことを思い出してくれた皆さん
とにかく、本当にありがとうございました!!!
あと、5周年感謝キャンペンのご注文をくれたお客さんもありがとうございました!
5年たって、いろいろ変わってきましたねとか新しいお客さんからも最近はいろいろ
わたしや陽子ちゃんに質問のメールをもらうことも多いから、また今度その質問は
いろいろ答えようと思う。だって、今日はわたしはどうしても書きたいことがあるから!!

この間、わたしと陽子ちゃんは夜中眠れなくてテレビをつけたら、ある番組をやっていた。今、インドの仏教のトップにいるのは日本人のお坊さんだという番組で、
そのお坊さんのことを詳しくやっていた。それは2004年に放送されたやつで、わたしたちは前に1回途中からみたことがあったんだけど、今回偶然はじめから見ることができて、
すごくいっぱい新しい発見をした。そのことを書きたいと思う。

仏教はインドで今から2500年前くらいに仏陀が生まれて始まった宗教で、そのあと前にも書いたみたいにアショーカ王様がいろいろ海外の国に仏教のお坊さんをはけんして広がった。中国や韓国、日本にもちょっと形をかえて伝わっている。わたしのスリランカやタイには一番最初仏陀がつくった仏教が残っている。
だけど、仏陀が生まれたインドなのに、仏教は13世紀頃までに他の宗教を信じる人たちから、いろいろひどいことをされて、仏像を壊されたり、社会の流れが仏教を信じてはいけないということになって、仏教徒は生きていくために他の宗教に変えないといけないことがあった。それで仏教徒はその頃に殆どいなくなっちゃったと言われている。だから、インドの人口の80%くらいはヒンドゥー教で、あとはイスラーム、仏教徒は0.何%くらいしかいなかった。だけど、ここ最近の何十年で仏教徒はびっくりするくらいのスピードで急増しているということを番組でやっていたんだよ。

その中心人物が、インド人のお坊さんじゃなくて、なんと日本人のお坊さんだということだった。その人は、佐々井秀嶺(ささいしゅうれい)というお坊さんで、岡山県出身だった。ササイというそのお坊さんのおかげで、インドでは今ヒンドゥー教や他の宗教から、仏教徒に改宗する人が年間5万人とか10万人とかすごい大きな規模で増えていて、インド仏教は絶滅しそうだったのに、今はインドの仏教徒は1億人くらいまで増えたと言われている。インドで仏教徒が急増している理由は、ササイというあのお坊さんの存在があるからだ。現在は、ササイお坊さんは、インド政府の中でも宗教の委員会に出る仏教の代表になっているくらい、インドの国でも有名で、すごい人物だ。

わたしたちは、インドの人の心を動かすくらい影響力があるササイというお坊さんはどれくらいすごい純粋に仏教だけのことを考えて生きてきた人かなあと思ってみていた。あの番組では、ササイお坊さんのの今のことをやっていたけど、大人しい静かな人じゃなくて、大声で笑ったり、時々怒ったり、だけどパーリ語の仏陀のお経を言うとき、スリランカのお坊さんじゃみたことないぐらい、力を入れて大きな声で言っていた!でも、どういう理由で出家したとか、詳しくはやっていなかった。だから、わたしはきっと生まれたときから、仏陀みたいにクリーンなイメージを考えたけど、実際のササイお坊さんの人生は子供の頃から変わっていて、すごいどろどろの人生だったみたいだ。陽子ちゃんはテレビで見たあと、ササイお坊さんのことを書かれている「破天」という本を買って、読んでいろいろ教えてくれた。

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とにかく、その人は子供の頃からびっくりするくらい・・・大きな声でいえないんだけど、簡単に言うとすごい激しい人生の人だった!!!何が激しいかというと、性格が嵐みたいで、子供のころから女性関係がすごかったということだ。陽子ちゃんは本を読みながら、時々「えーーーー!!」とか「うわーーーー!」とか言うから、教えてといったら、プラちゃんにはショックが強すぎるでしょ!知らないほうがいいでしょ!と言って教えてくれないくらい、あの本には細かいやばいことも書いてあったみたい。わたしは何が書いてあるかなとワクワクして、読もうかと思って中をみると、超小さい字で縦に2段個も印刷してあったから、すぐにあきらめちゃったんだけど!でも、ササイという人は自分の家のルーツから、とにかく女性に対して欲をいっぱい持った家だと認識していて、自分もその女性関係の呪われたカルマがあると信じていたみたいだ。とにかくいつでも女性が関係してくる人生だったという。

高校くらいの年に、もういやになって家をでて東京で一人で働いていたけど、結局そこでも女性と関係があって、苦しんでしまうという。とにかくビジネスを始めたり失敗したり、学校へいったりしながらも、やっぱりいつも女の人が関係している人生で悩んで苦しんで、もうこんな人生はいやだと思って、本気で自殺をしようとして冬に北海道の方へいって、船から海の中に飛び込んで死のうとした。だけど、かばんを投げたときに船の人に見つかっていっぱい殴られて止められたという。
その後、しょうがないから何かの会社で働いていたけど、なんか自分は人生に負けた人間だという気持ちがあって、お酒ではっきりしない重い気分をまぎらわせたりしているうちにアルコール中毒にもなって、仕事もちゃんとできなくなったという。いろいろ人にキリスト教会やカトリック教会にいけといわれて行ってみたけど、なんか違うと思ったみたいだ。

それである日、古本屋さんにいったときに日本の仏教を作った日蓮や親鸞という人の本をよんだりしたという。段々自分の心の中に勉強したいという気持ちがでてきて、お坊さんになろうと決めたという。それで、いろんな有名なお寺にお坊さんになりたいとお願いしにいったけど、有名なお寺は就職活動みたいに、大学はでていますかとかいろいろ聞かれて断られた。だけど、真言宗のいいお坊さんのお寺に拾ってもらえて、修行することができた。その後、また違うお寺を紹介してもらって移って修行をした。ササイお坊さんは、自分の欲望や執着をちゃんとわかっていたし、すごいエネルギーのあるお坊さんだったから、修行も勉強もすごい熱心にやった。秀順というササイお坊さんの先生のおかげで、「あなたは日本より海外のほうがあっている」と言われて、タイにいって、2年間修行をすることになった。

そこまで行ったら、まぁ昔はいろいろ激しい人生だったけど、ちゃんと修行をして着々レベルアップしていったのかなあと思ったけど、そうじゃなかったんだって!!!
結局、ササイお坊さんはタイでもモテてしまって、お坊さんなのに恋人が出来ちゃっていろいろ女の人のことであったという。そんな悪いニュースが日本のお世話になったお寺の秀順お坊さんのところまで届いた。もうやめて帰ろうと思ったけど、帰りにインドに寄って、仏教遺跡めぐりの旅をしていくことにした。

それで、ササイお坊さんは、インドにいって、いろいろ仏陀が歩いたところや、インドの日本の仏教寺にもいってみたりしたという。それで、やっぱり自分はせっかくお金をかけて、自分を信じてタイにも留学させてくれたのに自分はくだらない道にきてしまったと思って、日本に帰国して、心をクリーンにしてまた修行をし直そうと思ったという。それで日本に帰るチケットも買って、明日飛行機に乗るという夜に事件が起こった。

寝ていたら、金縛りにあって動かなくなった。足のほうに、白い長いひげで、杖をもった老人がたっていたという。その白いひげの人はつえを寝ているササイお坊さんの肩において、大きな目で、「我は竜樹なり。なんじすみやかに南天竜宮城にいけ。なんじの方城はわが方城。わが方城はなんじの方城。南天鉄塔もそこにありけり。」と日本語で言ったんだって!!!

もちろん、それは実際の本当の人間じゃなくて、霊みたい。それでササイお坊さんはびっくりして、これは何かただごとじゃない!と思って起きて、仲間のお坊さんに聞いた。そしたら竜樹は、ナーガルジュナという1900年くらい前にいたお坊さんだった。それと、南天竜宮城というのは、ヒンディー語にしたら「ナグプール」というところだった。
だからササイお坊さんは、ナーガルジュナがナグプールに行きなさいと言っていると解釈をして、なんか自分にやることがあるんじゃないかと思って、日本に帰るのをやめて、ナグプールにいくことにした。結局、その後、40年以上も日本にかえらないで、インドで仏教復興活動を続けることになった。

ササイお坊さんは、ナグプールに行ってみたら、いろいろ理由がわかってきた。ナグプールは1956年にアンベードカルという人が、インドで絶滅していた仏教を復興した土地だった。インドはカースト制度がある。一番トップはバラモンという宗教のリーダ的人たちで、その下に商業をするひとたち、農業をする人たち、あとシュードラという奴隷がいる。だけど、実はその奴隷にも入れない、「不可触民(ふかしょくみん)」という人たちがいるという。その人たちは、人間なのに牛や馬よりも低い立場みたいに思われていて、トイレや道のそうじや、せんたくとか汚い仕事しかもらうことが出来ない。ご飯も、畑にいるねずみしか食べちゃいけない人たちもいるという。差別はすごくて、不可触民の人が自分の家の中を見たら、その家のものは全部汚いものになったといって全部すてないといけないくらいだったという。だから、みんなは不可触民のひとを見ないようにしていたという。不可触民の子が学校にいくと、インドの40度50度くらい暑い天気でのどがかわいても、自分で水を飲むことができないという。とにかく汚いと思われているから、他の階層ひとたちと同じ水のみ場を使うのも禁止されているからだ。それで、どうするかというと、他の階層のちょっと優しい人がおたまみたいやつで水をくれるのを待つしかないという。本当に人の扱いをされないから、差別をされていて、生まれたときから死ぬまで苦しい生活をしないといけない。この不可触民というカースト制度にも入っていないひとたちは、インドの人口は12億人くらいいるけど、その25%くらいもいるという。

アンベードカルという人も、不可触民の子だった。だけど死ぬほど勉強をして、大学もいって、博士もとった。政治や法律、社会のことをいろいろ勉強をした。それで、不可触民という差別をなくそうとして、初めて差別を禁止した憲法をつくった人だ。だけど、憲法で禁止しても、差別をされている人たちの心の苦しい状況は変わらないでしょう。だから、アンベードカルは、ヒンドゥー教だったけど、差別がなくてみんな平等で自分のプライドを持って生きることができると言っている仏教を勉強して、仏教徒になった。それで、ナグプールというところで、不可触民のひとたちに仏教の素晴らしさを教えて、今までヒンドゥー教だった人たち60万人の人が仏教徒になったという。それが1956年の話だ。

だから、ナグプールには仏教徒がすごく多い土地だった。だけど、ササイお坊さんが初めてナグプールにきたとき、1968年頃だけど、せっかくアンベードカルという人が仏教を復興したのに、アンベードカルはその二ヵ月後に急死しちゃったから、あとで誰もいろいろ教える人がいなくて、お寺も殆どないし、そこの人々の生活はやっぱり不可触民ひとが多いから、死ぬほど貧乏なところだった。ササイお坊さんは、そこで貧乏なひとの願いをかなえて回ったという。願いと言うのは、お水がないところに、一緒に井戸を掘ったり、家を一緒につくる大工さんをやったりしながら、仏教を教えてまわった。最初はなんで外国人のわけがわからない人間だと思われていたけど、一生懸命はたらく姿をみて、人々の心が段々かわっていった。ちゃんとしたお寺がないから、ササイお坊さんは、お寺を作るために寄付を少しずつもらえるように歩いてまわった。段々、ナグプールの人たちはササイお坊さんを受け入れるようになって、寄付も集まってお寺もどんどんつくることができるようになった。

だけど、ササイお坊さんは、まだ本当にどうして自分がナグプールに呼ばれたのか、本当に意味がわからなかった。それを確かめようとして、15日間の断食と断水という、何も飲まないし、食べない修行に入ることを決めた。日本の今の暑い夏よりもっと温度が高くて、乾燥しているところだから、水をこんなに飲まなかったら死ぬことになる。
ササイお坊さんが考えたことは、もし本当に自分になにかインドで大きな役割があるのなら、竜樹や仏陀のパワーで自分は死なないだろうと思った。もし死んだら、それまでだと思った。だから、ひとつのギャンブルみたいに自分の運命をどっちかかけてみることにしたんだよ。それで、途中は体がおかしくなったし何回も吐いて本当に死にそうになったけど、それでも15日の断食断水修行を成功させた。そのことは大きな出来事で、インドの人々の心はもっとササイお坊さんに注目するようになった。

その後、ササイお坊さんは自分の命をかけてインドで仏教復興のために動いた。
ボンベイの大学にいって、仏教の勉強もしたり、仏教復興のために歩いていろいろところを回った。段々ササイお坊さんの宗教的パワーも上がっていって、悪魔にとりつかれた人たちを命がけで何日もかけて悪魔を退治して救ってあげた。それも何十人も、タダでやってあげたという。これは簡単のことじゃなくて、悪魔がはいった女の人が一日中自分をなぐってくるし、それをレスリングみたいにおさえて力とお経のパワーで消すから、一週間もかかることがあってササイお坊さんは死にそうになったという。すごい体力を使って疲れはててしまうし、怪我もするし、ササイは出来るだけやりたくなかったというけど、一人できたら私のところもお願いしますといっぱい依頼きちゃうからしょうがなかったみたい!
でも、どうせ命もいらないと思って仏教の修行することにしたから、なにが起きても
いいと思ってやっていたんだって!

その後、大きなことは、インドのブッダガヤーというところを仏教徒のために取り戻す運動をやって大きな成果をあげたことだ。ブッダガヤーというのは仏陀が悟りを開いた土地で仏教の聖なる土地だけど、ずっとヒンドゥー教に支配されていた。ブッダガヤーの大菩提寺という仏陀のお寺も、ヒンドゥー教の神様のお寺にされていた。ヒンドゥー教は、インドでは自分の願いを叶えてもらうために、神様に犠牲をあげる。それは生きているヤギとか動物でそれをそこで殺して、その頭や血をあげたりしている。
ここでちょっと言っておくけど、スリランカではヒンドゥー教も信じられているけど、そんな恐ろしいプージャーはやらないよ。陽子ちゃんもヒンドゥー教は本来はそんな残酷の恐ろしい宗教じゃないのに、長い間にずいぶん人の勝手な解釈で商業的になっているし、人間がわがままの宗教になっていっていると言っている。もちろんインドやネパールでも、そういう残酷な犠牲をあげるプージャーに反対しているヒンドゥー教徒もいる。だけど、とにかくそう伝わっているから、ブッダガヤーは仏教の素晴らしい聖なる土地なのに、ヒンドゥープージャーの犠牲になった動物の血でいっぱいになっていた。

だからササイお坊さんはブッダガヤーを仏教徒のために取り戻すことを決めた。
そのために、ナグプールから仏教徒をつれて、ボンベイからブッダガヤーまで5000キロのデモ行進をすることになった。それは簡単じゃなくて、まるで戦争みたいだった。昼間は40度50度だし、夜は寒くなるインドで、盗賊もいっぱいいるし、反対派もいっぱいいる。最初はお坊さん数十人と仏教徒300人くらいだったけど何回も続けているうちに、何千人もが参加するようになった。とにかく時間がかかったのは、もちろんブッダガヤーが完全に仏教徒のものにすることを許してくれなかったからだ。ササイは、その間、何度も断食や断水の反対活動をしたし、政治家や首相にも何度も直接はなしをしにいって、とにかくブッダガヤーが仏教徒のものになる正当性を主張した。
段々そういった人たちもササイという人物のすごい人柄や熱い気持ちひきこまれっていって、1996年の第10回目のとき、とうとうインドの首相や元首相は、その会で仏陀の像を手にもってひとびとにバンザイとやるように見せた。最後の方は、ブッダガヤーのヒンドゥー教の人たちも、デモに参加している仏教徒の人たちにお茶やご飯をあげたり、お世話をしてくれるようになったんだって!まだ完全にブッダガヤーは仏教徒のものに戻ったわけじゃないけど、大きな進歩だった!!!
結局、この運動はなんとトータル42万キロのデモだったという。その間、何度も警察や反対派、盗賊に襲われたり危ないこともあった。だけど、このデモは一度通った道は絶対通らないように、いろいろところをまわって、仏教の意義を説明しながら続けていった。今、ブッダガヤーの大菩提寺にあったヒンドゥー神様の像やシンボルはとられて仏教のお寺になっている。

こんなふうにササイお坊さんは仏教に命をかけて、それは差別されたり苦しんでいる人のためになることだからだけど、そういう人々に仏教を広げていった。インドでは毎年すごい大改宗式というのがあって、ナグプールには100万人も仏教徒が集まる式がある。インド全国の超遠いところから、何日もかけて、ササイお坊さんの下で仏教に改宗するために新しい仏教徒が5万~10万人も集まる。その殆どはやっぱり不可触民といわれている人たちだ。それと、もともとの仏教徒も他に90万人くらいきて100万人くらいが集まるすごい式になるんだけど、その人たちを全部しどうして、グループグループにわけて全部のグループ人に仏教の約束みたいことを教える。その1回1回はすごくエネルギーが必要なことだけど、あのササイお坊さんは1日に何回もすごい迫力のある大きな声で新しい仏教徒ひとによびかけていた!もうおじいちゃんの年なのに、すごいエネルギーで、そこに来る人たちはササイお坊さんからパワーをもらっているみたいだ。それで、そこに来ていた新しい仏教徒ひとたちは、みんな目を輝かせて、自信をもらっていることを言っていた。不可触民といわれて差別されて苦しい生活しかできなかった人たちに、ササイは人は平等だということを教えて、一番大事なことはあなたたちの生活が安定して自信を持って、立派に生きていくことだと教えている。何千年も続いた差別は、もうどうしようもないくらい社会にあって、不可触民というひとたちの心は簡単に回復できるものじゃない。

だけど仏教徒になることによって、自分のこころの中に尊厳というプライドを持つことができる。自信が生まれることは、生きるために一番必要なことだ。どんなにまだ社会や他の人たちから差別されたりしても、自分だけでも心の中で、自信をもっていることが出来たら、苦しいところから脱出するために、一生懸命勉強をして、良い仕事につくように頑張ることができる。差別はひとの心にそういう原動力をつぶしていってしまうけど、仏教を信じつづけることによって原動力を持ち続けることができるでしょ!!!ササイお坊さんは、このためにインドで仏教復興活動を続けている。

あとササイお坊さんの夢にでてきた竜樹は、本当にナーガルジュナだったみたいだ。ナグプールでササイがここを掘ってくれといったところを掘ったら、たくさんの仏像やお寺とか仏教遺跡が出てきた。マンセールというところでも、ササイの指示でほっていくとそこでもたくさんの仏教遺跡がでてきた。どうやら、ナーガルジュナが「南天鉄塔がありけり」といったのは、ナーガルジュナが密教の経典をもらったといわれている建物がそこにあるみたいだ。ササイが見つけた仏教遺跡の数はインド最大になりそうで、本当に不思議だけど、やっぱりこのササイお坊さんは仏陀のグナとナーガルジュナのインヴィテーションによってインドにきたみたいだ。

わたしたちは、今回ササイお坊さんのことをいろいろ知って、インドに行ったらナグプールやササイお坊さんに会いに行きたいと思っている。1956年に最初にナグプールで仏教復興をやったアンベードカル博士の先生は、チャンドラマニーという人だけど、チャンドラマニーの先生が「アナガーリカ・ダルマパーラ」というスリランカ人のお坊さんだったんだって!
実は、陽子ちゃんは大学院のとき、アナガーリカ・ダルマパーラのことも研究していた。
スリランカ人のわたしでもダルマパーラという名前は聞いたことあっても、なにをした
人か忘れちゃっているくらいだけど、日本人の陽子ちゃんがこの人に注目して勉強して
いたことはすごい珍しいことだ。
どうして注目したかというと、スリランカでイギリスの支配で仏教がつぶされてキリスト教がひろがっていったとき、反対して仏教復興活動をしたのがダルマパーラだったという。この人のおかげでスリランカではイギリスの支配があっても仏教が消えないでちゃんと残った。仏陀の誕生をお祝いするウェサック祭も、ダルマパーラが始めたんだって。
だから、陽子ちゃんはなにか縁があるかなあと言っている。

あと、ササイお坊さんはナグプールで仏教復興活動をしていたとき、反対派のひとたちから暴力を受けることもあった。もちろん、その活動に参加している一般の仏教徒の人たち、女性も子供もやられる。ササイお坊さんはそのとき、人々が自分の力で自分を守る方法が必要だと思って、日本の沖縄からひとを呼んで、ナグプールの人たちに空手を教えた。それから空手はどんどん広がって今はすごい数の人たちが空手を習っているという。陽子ちゃんは小さいときから大学までずっと空手をやっていてブラックベルトを持っている。だから、ナグプールにいってインドの人たちが今、どんなふうにやっているのかすごく興味があるんだって。

ササイお坊さんのテレビ番組をみてから、またわたしたちはやっぱりインドに行かないといけないなあという気持ちが強くなった。次は今年中にスリランカにいこうと思っていたけどいろいろ準備を考えると、もう少し時間がかかると思う。
でも、わたしたちは将来、なにか困っている人のためにやりたいと思っているけど、ササイお坊さんのことを知って、実際インドに行ったら、何か具体的にわたしたちができることが見えてくるかもしれないね!と話している。ササイお坊さんみたいに、国や自分の命を捨てる気持ちで、仏教やひとのために自分の全ての人生を使うことは難しいと思うけど、やっぱり少しでもササイお坊さんのように頑張っていきたいと思う。
今こうやって仏教がすごい急激に広がっているインドだけど、ササイお坊さんがもし亡くなった将来は、もしかしたらまた仏教を信じる人が苦しい状況になることもあるかもしれない。だけど、わたしはスリランカ人で仏陀を信じている仏教徒だけど、ヒンドゥー教にも理解がある。スリランカの村では両方を信じているからだ。陽子ちゃんも、すごくパワーを使う仕事だから、最近はスリランカのちょっと強いサーッタラから、パワーを送ってもらって「スリーヴィシュヌ」から始まる長いヒンドゥーのマントラを言って、エネルギーをキープしている。だから、こういうわたしたちみたいに仏教とヒンドゥー教の二つがわかる人が、何か役に立つこともあるかもしれないと思っている。

最後に、インドでこんなに素晴らしいことをして、インドの人たちの心の支えになっている有名なお坊さんが日本人だということを、日本の人が知らないことが本当にもったいないでしょ。日本の人は、インド仏教のトップがこのササイお坊さんのことを誇りに思ってほしいし、あとやっぱり日本の人もお葬式をやる仏教徒だったら、仏教のことをもっと勉強してインドの新しい仏教徒ひとに見せても恥ずかしくない立派の生き方をしてほしいなあと思う。

じゃあ、最後に今日は素敵な指輪の写真です!!!
これはプラチナで、ひらこうまるという丸い形で、留めるところも十の字の点で
留めているんだけど、最近この形が人気なんだよ。

今までとても頑張っていた人だというから、これからは幸せの発展があるといいね!


今日はササイお坊さんのことを書いたから、すごく長くなっちゃった。
だけど、ここには書けないぐらいあのお坊さんはとにかくすごい人!!!だから
もし興味があったら、日本人のひとでもあの本は長くてちょっと時間がかかるみたいだけど、ぜひ読んでみて下さい!!!(わたしは読めなかったけど・・・)
これから、お盆のシーズンだね!
皆さんは夏休みをもらって、どこかに行く人もいるかもしれないけど
超暑いから、具合が悪くなっちゃうことがないように気をつけて下さい!
どこか行かない人は、ゆっくり家の中で「本」を読んだり、楽しんで下さい!!
今日もありがとうございました。


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