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プラちゃんの部屋~変てこスリランカ人留学生(だった)奮闘記~

漢字間違えてても言葉変でも気にしないでね~

想像力と教育

皆さん、こんにちは!
いつも見に来てもらってどうもありがとうございます。
最近はいろんな人が見に来てくれるようになって、
わざわざメールをくれることもあって、わたしはすごく喜んでいる。
その人たちは、わたしのネットショップページのお問い合わせからメールするから
「ジュエリーに関係ないことで申し訳ないんですけど」と
恥ずかしがっている感じでメールをくれる。
どんな人たちかというと、フェアトレードをやりたいという女の人とか、
スリランカの悪魔祓いとか文化に興味があるという大学生の男の人とかだ。
わたしのブログの昔のところのことも読んでくれてメールをくれるから
わたしは本当にありがたいなあと思ってとても嬉しいです。
いろいろご縁をもらって、どうもありがとうございました。

今日はこのあいだ面白いことがあったから書こうと思う。
わたしは時々陽子ちゃんと美術館に行っている。それは陽子ちゃんのお母さんが、
プラちゃんはジュエリーの店長なんだから、時々は世界の美しい芸術を見ないとだめだよといわれて連れていってもらうことが多いんだけど。今日はそのことじゃなくて、こないだ行くときにあった話をしたいと思う。
わたしと陽子ちゃんは陽子ちゃんの実家の千葉の美術館にいくために、お母さんと待ち合わせをしていた。お母さんはまだこなくてわたしたちは公園の近くの信号のところで待っていた。そのときに、二人の女の人が「こんにちは~ちょっといいですか?」とわたしたちに声をかけてきた。あの人たちが聞いたのは「わたしたちは平和についていろんな人にアンケートをとっているんですけど、世界の平和にとって一番必要なものはなんだと思いますか?」ということだ。わたしは、なんだこの人たちは?と思ってすぐに答えられなかったけど、陽子ちゃんはすぐに答えて「平和にとって一番必要なのは想像力だと思います。」といった。あの二人はちょっとびっくりした顔をしてどうしてですかと聞いた。

陽子ちゃんは「例えば世界での紛争のことを考えると、紛争をなくするためには紛争をやっている国同士が相手の意見を理解しないといけない。それには相手の国の人たちが想像力をはたらかせて、相手の国の文化や宗教、歴史を考えて、ああ、だからこの人たちはこういう意見なのかと理解する必要がある。これが理解できたら紛争がなくなる。だけど、それを理解するためには、絶対相手を思う想像力が必要になる。
紛争だけじゃなくて、例えば環境問題のことでも、今地球がどんなふうに汚染されているか、想像力があるとないとではゴミの捨て方や冷暖房のつけ方だけでも自分のやり方が全然違ってくる。想像力があれば温暖化でどんどん広がっていく砂漠や、溶けている氷、なくなっていく石油を想像できるから、自分の生活でどれだけCO2を出さないようにするか、資源をリサイクルして大事に使っていくかを考えるようになって、生活の姿勢が全然変わってくる。世界で何秒に一人、ご飯が食べられなくて死んでいっているアフリカの子供を想像することができれば、今買おうとしているお菓子をやめて、その分のお金を募金にしようと思うことができる。こういうことは全部、かわいそうな人たちをクリアに想像できるかどうかで自分の取り組み方が変わってくる。だから、平和にとって一番大事なのは想像力です」と言った。陽子ちゃんはもっといろいろ言ったけど簡単に言ったらこういうことだ。

これを聞いていた二人は、口がOみたい顔になって、何にもいえなくなった。
それで、陽子ちゃんは「じゃあ、あなたたちの意見では平和にとって一番必要なものは何だと思いますか?」とすぐに質問した。
そうしたら、あの女の人たちは「それは宗教を統一することだと思います。世界での戦争や紛争は宗教が原因のことが多いじゃないですか。だから、世界が一つの宗教になれば紛争がなくなって平和な世の中になります。そう思いませんか?」と言った。
それに対して陽子ちゃんは、「それは違うと思います。宗教というのは、その土地、その土地の昔からの歴史や伝統、気候に合った形で根付いている。そこに全く違った宗教を教えるということはそういった伝統社会の流れを捨てさせることになって、文化を否定して、結局上からの押し付けになるだけです。紛争はもっと大きくなるでしょう。」とすぐに応えた。そうしたら、あの二人はもっと目が大きくなって、びっくりした顔になって、陽子ちゃんに
「もっとお話聞かせて下さい。あなたにいろいろ教えてほしいです。」と言った。

そのときにちょうどお母さんが信号を渡ってきちゃって、陽子ちゃんは今から行くところが
あると断って、わたしたちを連れてどんどん歩いていったけど、あの二人が少しついてきてわたしはうざいなあと思った。

お母さんがなんだったの?というから、陽子ちゃんはこのことを全部話した。ひまだったから、宗教の勧誘だと思ったけど面白いからさーと言った。そしたらお母さんが「あんた、ばかだね~そんな人たちを洗脳するのはすごく簡単なんだから、そこで想像力をもっと豊かにするためにはブルーサファイアが一番とかいって、何百万もする指輪でも売ればよかったのに~」と言ったから、わたしたちは笑っちゃった!陽子ちゃんは「や~だ、いい加減にしてよ~そんな良い宝石はあの人たちのところに行くのは嬉しくないよー」と言ったけど。でも、確かにそういう人たちは、なんかの宗教にマインドコントロールされているから、
それを超える理論を言う人がいたら、すぐに人形を動かすみたいにこっちに向くことができるんだなあと思った。

でも、あとで陽子ちゃんにやっぱり陽子ちゃんはすごいな~あんなことすぐに答えるなんてすごいなあと言ったら、アハハハハと笑った。それで「あれは大学の平和学で一番最初の授業で先生が教えてくれたことなんじゃん。わたしがそんなに頭いいわけないじゃん」と笑って言った。わたしはなんだ、そうかあと思った。だけどあとで陽子ちゃんが大学生だったのはもう10年以上前のことなのに、覚えているのがすごいと思った。あと、わたしにはこのことは少し大きな事件で、家に帰ってもいろいろ考えて、やっぱりわたしが行ってた大学ではそんなことは教えてくれなかったと思った。10年後でも頭に残ってすぐに言えるくらい強い言葉を教えてくれた先生はいなかった。やっぱり、陽子ちゃんの行っていた大学は
早稲田大学だから、そんなふうにすごい心に残って、正しい理論を教えてくれる先生の教育を受けることができたんだと思った。それで、あの教育を受けた生徒の考えも変わって、陽子ちゃんは生き方につながっている。
どうして日本が子供の頃から教育、教育とうるさくしていて、小さい子供に受験をさせたり、できるだけいい大学に入るためにいろいろ塾にいかせたりしているか、なんのために勉強をしないといけないのかあと不思議に思っていたけど、やっぱりこのことでわかった気がした。

わたしは時々というかいつも教育についてすごく考えている。
それでいつもやっぱり財産はお金よりも教育だという結論になる。わたしがいつも教育について考えるのはわたしの子供の頃のことがあるからだ。

これを見て下さい。これは前にものせたことがある写真だけど、スリランカでよく食べる
ワデという揚げ物だよ。ワデの方じゃなくて、入れている袋の方を見て。



これは、教科書かなんかの紙で作った袋だ。スリランカでは町のお店で買った揚げ物や
小さいお菓子とか、雑貨ものは時々こういう紙の袋に入れてくれる。この袋は、店の人がいらない紙でひまなときに作っている。紙になるものは、近所からもらったり買ったりした紙なんだよ。

わたしは子供のころ、一年が終わると教科書やノートを自分のやつと弟のやつを集めてためた。それで何年か分ためると、こういう店に売りに行っていた。もちろんお金がなかったからで、こういうノートや教科書は1キロ集めるとやっと1ルピー(1円くらい)もらえた。そのときは1ルピーでパンとか日本でいう「おやき」みたいな野菜が入ったお好み焼きみたいなものが買えたからだ。これはわたしにとって、一番悲しくていやな作業だった。わたしは本当は勉強が大好きだったし、自分が勉強してきて書いたものとかは自分の頑張ってやった仕事の結果みたいに思って、大事にとっておきたかった。だけど、いつも次はいつご飯が食べられるかなあと考える生活だったから、何か食べるためにはこういう小さいことでも1ルピーでも作るために、何年間も勉強したノートを売るしかなかった。今でも、これを思い出して、もったいないことをしたなあと思って後悔している。

だから、わたしはよくブログでも、ノートや鉛筆がなくて困っている子供がいると言ってたのはそういう理由だからだ。わたしはこの経験はすごく恥ずかしいことだと思って、陽子ちゃんにも言わないようにしていたけど、この間はじめていったら、そういうことがあるのを初めて知ったと驚いていたけど、プラちゃんはそういうことは色んな人に自分の経験として言うことは意味があると言ったから書くことにした。

わたしは子供の頃、勉強が好きだったから、勉強がよく出来る生徒だった。成績はクラスでいつもテストの点数が高い3人のうち1人に入っていた。だから、先生の中ではずっとわたしに注目をしてくれていた先生もいて、どんな大きな学校に進んでいい仕事につくかと期待してくれていた。それで結局、あの3人のうち2人は、お金持ち子供だったから、村の学校じゃなくてコロンボの「ローヤルカレッジ」とか、すごくいい学校に進んで、今お医者と弁護士になった。わたしはお金がなかったから、村の学校にそのまま行った。
ちょっと遠くても、少しいい学校に行くチャンスがあったけど、わたしはある理由で行かないことにした。それは靴下が買えなかったからだ。コロンボのすごく高いレベル学校じゃなくても、タウンのちょっといい学校は靴下と靴をはいていかないといけない。だけど、わたしの家は靴下と靴を用意するお金がなかったから、わたしだけ裸足でいくのは恥ずかしいから諦めて、裸足でいける村の学校に進んだ。だけど、結局そこの教育レベルはあまりよくないから、友達が授業のときにわたしのノートをとったり、一生懸命小さい鉛筆で書いているのに、友達がいたずらをしてすてたりして、遊びに誘うようなことをしてくる。こういうのがしょっちゅうだと、わたしだけいつもお弁当を持っていっていなかったから、おなかもすいていたし、いたずら友達から避けて勉強を続ける集中力はなかった。だから、結局最後は一緒になって遊んで勉強をやめちゃったりした。

昔はこんな家に住んでいたから。クリックすると村の学校だから見て。
これよりもっと設備はない学校だったけど。



こういうことが何年も続くとわたしは前は頭の良い子だったのに、どんどん成績がさがっていった。高校生のころになると、わたしも自分の考えが強くなって、やっぱり勉強が大事だと思って、また勉強をいっぱいするようになって、高いスコア成績をもらえるようになった。だけど、あの最初の頭の良い3人のうちの2人みたいなすごいレベルにはいけなかった。わたしを期待してくれていた先生は、卒業したあとも時々道であったら、あなたはもったいなかった~あの二人は~と残念話をしていた。もし、わたしがもっとお金持ちじゃなくても、ちゃんと一日2回か3回ご飯を食べられる家で、ノートや教科書を売らないでいいくらいの子供だったらとか、お金持ちで、あのときあの二人みたいに良い学校に入っていたら、わたしも大きな人物になっていたかもしれないと思うことがある。だから、やっぱりそういうことを考えるとどれだけ教育が大事かということがすごく思うんだよ。

わたしが憧れていたローヤル・カレッジという学校。カレッジといっても大学という意味じゃなくて、小学校から高校までの教育をしてもらうところ。イギリス式でオックスフォードや
ケンブリッジ大学みたいな建築と高いレベル教育をしてくれる。
わたしは名前は知っていたけど、ユーチューブで見て、こんなすごい学校だったのかと
思ってびっくりした。

クリックして見てみて下さい。村の学校とどれだけ違うかな!


でも、去年陽子ちゃんとスリランカに行ったとき、わたしを期待してくれていた先生の家を二人で訪ねることができた。あの先生は、わたしが日本に行ったことは噂で聞いていたけど、日本で大学に行ったことや日本ですごくレベルが高い教育を受けた白いお嫁様をもらったことを知って、涙をみせながら喜んでくれた。ずっとわたしのことをかわいそうだと思ってくれていたけど、今幸せになってよかったと言ってくれた。

それでもわたしは時々、もっとお金持ちでいっぱい勉強できて、あの学校にいっていたらなあと思うこともあるけど、でもわたしがスリランカで良い学校に行っていたら日本にきたかなあと考えると来なかったと思う。スリランカで十分幸せだったら、日本には来なかったと思う。そうしたら、陽子ちゃんにも出会うことがなかったんだなあ、こういうふうにネットショップをやって日本のお客さんといろいろ交流をしたりすることも知らなかったんだなあと思うと、結局、人生は運命にしたがっているんだなあと思った。スリランカでもっと子供の頃からしっかり勉強に専念できなかったのは悲しいことだけど、やっぱり日本に来れたことで
広がった幸せは、他の人が経験できるものじゃない。

だけど、やっぱり考えることは教育が大事だなあということだ。わたしは日本の大学もお金が一番かからなくて授業料が留学生は割引になる大学を選んだ。経済について勉強をしたかったからそれは出来たからよかったけど、やっぱり大学は大学でも高いレベル大学とそうじゃないところでは、教育の質が違うと思った。集まってくる生徒も違う。わたしは大学で経済についてとか、世界についていろいろ討論できる友達は1人もいなかった、試験のときなんか、外国人のわたしが一生懸命漢字を覚えて答案を書いているのに、それを日本人のクラスメートがカンニングをしてうつして書いていることもしょっちゅうあったから!
陽子ちゃんに言ったら、日本人として恥ずかしい。申し訳ありませんと言っていた。
だから、時々わたしは大学なんて大した意味はないのかあと言ったけど、陽子ちゃんはそんなことはない、レベルが高い学校はみんなみんな自分と意見を話し合える友達になれるわけじゃないけど、すごく一生懸命やっている人や問題意識が高い人たちが多いのは確実だから、その中では自分と合う人や討論して時間を忘れちゃう人の割合も多くなる。教えてもらう内容も絶対に違うといろいろ言っていた。あのときは、わたしはそうかなあ~と思ったくらいけど、陽子ちゃんの友達がやっている活動のこととか、この間の平和に必要なもの事件みたいなことがあると、やっぱりいい所で教育を受けた方がいいんだなあ~と思った。

こういう話をすると、陽子ちゃんはでも学校なんかいかなくても、技術を持って仕事をしている人たちはすごいんだからと言っている。みんなが良い学校や大学にいって、オフィサーになっちゃったら社会は成立しない。結局、野菜や食べ物を作ってくれる人、機械をつくってくれる人、家をつくってくれる人、あとジュエリーとか美しい芸術を作ってくれる人とか、とにかく何か技術の仕事をしている人は必ず良い学校にいく必要はないでしょうと言った。でも、どういう仕事につくか、自分でいろいろ選択肢をつくったり、自分で考えられたりするようになるには、やっぱり受ける教育が大事なんだなあという結論になった。

わたしは今の自分を肯定することができて、幸せだと思うことができるけど、やっぱりもっと勉強ができていたらなあと思うし、売ってしまったノートや教科書のことはいつも思い出す。日本は何かを契約したり、買ったりすると、すぐにいろいろくれるでしょう。
わたしはそういう何かプレゼントみたいものを貰うと、嬉しくてしょうがない。
前にソフトバンクで携帯を買ったときは、かわいい水色の犬ノートをくれて、今でも英語を忘れないように書くのに使っている。生命保険を契約したりすると、ボールペンやタオルとかいろいろくれるし、そういうものをもらうたびに私はありがたいなあと思うのと、あのときもらっていたらなあと思う。だから、テレビで日本の子供や学生が、登校拒否をしてひきこもりの番組をいろいろ見ると、あの子供の部屋にあるたくさんの本やノートや鉛筆や靴下を必要ないなら、あのときのわたしにくれないかあと思う。何か心の問題があるのかもしれないけど、勉強したくてもお金がなくてチャンスがない人はいっぱいいるから、お願いだからそんなこと気にしないで一生懸命勉強してみればいいのにと思ってしまう。

だから、わたしはスリランカにいったとき、お客さんから頂いた募金と自分のお金を入れて、貧乏で困っているたくさんの子供にノートや鉛筆、定規セットをあげられたことが自分の恩返しの気持ちと、何か罪を1個1個つぐなっている気持ちでやることができて、心が安心したんだよ。今度はスリランカにいくのはいつかなあと思っているけど、来年でも行けたら、また必ず困っている子供たちに教育の何かをやりたいと思っている。

でも、人間はやっぱり忘れちゃう動物だから、いつも忘れないようにしようと思っていても日本の便利でおいしいものがたくさんある生活をしていると、そういう苦しい子供がいることも忘れちゃって自分の楽しみばかりを考えてしまっていることがある。だから、やっぱり想像力も大事だなあと思った。どれくらい苦しい人がいるか忘れないようにしないといけない。水くみや木を拾ってきたり家の仕事をいっぱいしないといけない子は勉強する時間も少なくなる。お腹がすいて勉強に集中できない子供のこととか、夜になると電気がなくて、勉強を続けたくても暗くて出来ない子どももまだまだいっぱいいるでしょ。日本の便利生活をしていると忘れちゃうけど、想像力がすごく働くとこういういろいろ困っている人をいつも想像できて、忘れないでいることができるんだなあと思った。

でも、想像力がすごすぎる人はすごく苦しいことが多いみたいだ。陽子ちゃんは、異常な想像力をもっている人で、毛皮を見ると生きたまま毛と皮をはがされて、血だらけの細い体だけになって、死にそうになって手を動かしているウサギやきつねが見えるようになっちゃったと言う。あと、お店でいろいろお客さんが自分の問題をメールでくれるけど、想像力がすごいから、お客さんの問題が自分の経験みたいに見えちゃって異常に同情をしてしまって、なんとか問題が小さくなるようにすごい時間を考えてメールをする。わたしは見ていてビジネスとしてはありえないなあと思うことが多い。陽子ちゃん自身も、もう少しスイッチをすぐにオフできるようになればいいと言っている。逆にわたしはもう少し想像力が働く人にならないといけないと思っているけど。

今日は、かたいお話をしちゃったから、最後に綺麗なジュエリーです!
このトップはアクアマリンという宝石だよ。


これは、お客さんからの特別オーダーでアクアマリンのピアスと、長くつけるときのピアスパーツをアパラ石で作った。お客さんから、アクアマリンのピアスがほしいんですけど、アパラの石と相性はやばいですかとメールがきた。陽子ちゃんはいろいろ調べて、なんとかアクアマリンじゃなければ、青い透明で処理のしていないアクアマリンだったら殆ど水くらいの感じで、瞑想パワーはないから、アパラ石の効果に影響しないしないことがわかったんだよ。それに植物が水をもらうみたいに結構相性もいいということがわかった。それで陽子ちゃんは、昔行ったスリランカでたまたまアクアマリンを2つピアスにしようと思って買っていたことを思い出して探したらあったんだよ。ラトナプラに最初に行ったとき、陽子ちゃんはいろいろ宝石に感動して、ナワラタナ石だけじゃなくて、アクアマリンとかアメジストとかスピネルとかいろいろ買っちゃったんだよ。水色の綺麗な石はお店の人は大きなブルートパーズをすすめてきたけど、ブルートパーズは加熱どころじゃない処理をして色をブルーの綺麗にしてあるから、全然宝石の本当の美しさやパワーはないと言うことで、アクアマリンにしたんだって。だけど結局ジュエリーを作るのはナワラタナの石だから、使われないで何年もおいてあったんだよ。

これがそのアクアマリンだよ。もともとはオーバル形をしていた。
スリランカにはこんな綺麗な宝石がまだ採れるのは嬉しい。


陽子ちゃんはお客さんにこれだったらずっと昔に買ったものだから、石代ただでいいですよと言った。でも、これは二つで3ct以上あって、買ったときの値段を聞いたら、ねぎりかたを知らなかったから、結構高かったという。お客さんは、ラウンド型がいいということで本当は超もったいないけど、リカット代だけもらって5.5mmラウンドにしてプラチナのピアスを作ったんだよ。陽子ちゃんはすぐお客さんと仲良しになっちゃうから、リピートお客さんは、いろいろサービスがやりすぎているんじゃないのかと思うことが多いんだけど。でも、このアクアマリンはなんかこのお客さんのものになる運命で陽子ちゃんが自然に買っていたのかなあと思う。それに、このお客さんはフランスに住んでいる人のオーダだから、フランスの小さい綺麗な町で、お客さんがわたしのお店のブルーの綺麗なピアスがゆらゆら揺れながら、いろいろ長いパンとか買った袋を持って歩いているのかなあと思うと嬉しくなる!スリランカの宝石がわたしのところを経由して、フランスに行って、何か良いパワーを発揮してお客さんが幸せになってくれたらいいなあと思う。

そういえばフランスといえば、陽子ちゃんのお母さんにハプスブルグという有名でお金持ちのフランスの伝統家族のいろいろ美しい絵を見にいきましょうと誘われている。
きっとプラちゃんが好きになる芸術と言われているから、なんとかスケジュールをつくって、いけたらいいなあと楽しみにしている!

今日もいろいろ長くなっちゃったのに、読んでもらってどうもありがとうございました。
わたしはいつも次のトピックは何にしようか~と悩むんだけど、結局書き始めたらどんどん気持ちが出てきちゃって、長くなって陽子ちゃんに怒られる。
でも、これからも、何かわたしが書いていることとかスリランカこととか
何か気づいたことがあったら、メールを下さい。
わたしは日本の人がどういうことを考えるか教えてもらいたいから
メールをもらえるとすごく嬉しくなるから!

じゃあ、皆さん2009年もあとちょっとになったけど、新しい年は今年より
もっと何か良い発展があるように、今年あと少し頑張ってください!
栄養の食べ物をいっぱい食べて、元気をキープして下さい。
どうもありがとうございました。


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