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プラちゃんの部屋~変てこスリランカ人留学生(だった)奮闘記~

漢字間違えてても言葉変でも気にしないでね~

クルネーガラの孤児院

皆さん、こんにちは!
この間のブログで、たくさんの人からわたしたちを応援してくれているメールを
もらいました。もう何年も前にオーダーをくれたお客さんとかも、ずっと見てくれていて
本当に嬉しかったです!赤ちゃんはすごく順調で、陽子ちゃんも体が落ち着いてきたみたい。わたしは、陽子ちゃんが病院からもらった写真を見て、後ろからみた耳や顔の形がわたしに似ていたから、毎日見て楽しんでいる。
優しい心で応援してくれている皆さん、どうもありがとうございました。

ところで、昨日「弾丸トラベラー」という番組で、女の人が二人でスリランカに
行っていたんだけど、見ましたか?あれは1日でスリランカを旅行する番組だから、
すごい急いで回っていたんだけど、どうせ来たならもっと仏教の遺跡を見て
もらいたかったなあと思った。でも、やっぱりテレビで気軽に行ってもらえるくらい
スリランカが日本の人にとって、身近の国になってきているみたいで嬉しかった。
番組の最後でナワラタナもプレゼントでやっていたね。何人かの人が
スリランカのお守りで、幸せももらえて良かったでしょう!

今回は何を書くかというと、わたしたちが募金をあげてきたスリランカの孤児院から
メールがきて、やっと出来ました、ありがとう!というメールをもらったことだ。
わたしたちは、今回のスリランカで最後の方で、クルネーガラに行った。
クルネーガラは、私たちがいるガンパハという県から車で3時間くらいの都市だ。
そこから、いろいろな道がつながっていて、仏陀の歯のお寺があるキャンディや、
アノラーダプラというところとか、いろいろな大きな都市に向かう道がクロスしていて
中継の都市みたいになっている。そこのある村に、陽子ちゃんがわたしと知り合う前に大学院の研究で滞在していて、わたしと結婚した後も何度か一緒に遊びに行っている。ここに前のブログ前のブログがあるから読んでみて。

これがクルネーガラのタウン。右側に大きな山の上に仏陀の像がある。



何かお土産を買っていこうといって、ぶどうやオレンジをいっぱい買った。



お世話になる家に着いたときは、もう夕方になっていた。実はその家の電話番号を持ってくるのを忘れちゃったから、電話しないで突然行ったんだけど、スリランカはそういうのはみんな気にしないで、よく来たね~といってみんな喜んで迎えてくれる。

夜ご飯が出来るまでみんなでテレビを見ているよ。わたしの隣にいるのがダヤンという、
この家の長男。その隣がだやんの友達で、女の子はダヤンの妹イシャーニ。


ちょっとしていると、お母さんがご飯が出来たから食べてと言った。スリランカでは
みんなで一緒にご飯はあまり食べないで、お客さんに先に食べてもらう。

今日のご飯。ダール豆のカレーと魚のカレーいためと、ポテトカレー。
わたしたちは、お肉は食べなくなったと言ったら、いろいろ気にして作ってくれた。



陽子ちゃんは、先に食べおわって逃げようとしたけど、わたしだけずっと長く
食べているのは恥ずかしいから待っていて!と言った。だって超おいしいから!


この日は食べ終わったあと、みんなでいろいろ話をしておわった。
次の日、わたしたちはクルネーガラにある孤児院に行くから、この家には1日で
さよならをしないといけなかった。この家の人たちはわたしたちがいるのが楽しいから
もっといてと言った。わたしは、何年前かわすれたけど、最初ここにくるとき、
陽子ちゃんの知り合いの家でびびっていた。だけど最初からこの家の人たちは
わたしを家族みたいに迎えてくれて長男のダヤンもわたしをお兄ちゃんと
言ってくれてすごく嬉しかった。ほんとは時間があったらもっといたかったけど。
最後に記念写真を撮ったよ!

真ん中はお母さん。お父さんは朝早くたんぼに行った。
陽子ちゃんはダヤンが好みのハンサムになったという!


ちなみにこれが陽子ちゃんが滞在していたとき。もう8年くらい前だって!
お寺の前でとった写真。後ろの一番左にいる小さい子がダヤン。陽子ちゃんの隣に座っている女の子がイシャーニ。この日はダンパーサという日曜の仏教学校の日だから、白い服を着ているんだよ。みんなこんな小さかったんだね!


わたしたちは、家にお別れしたあと、その村のお寺にいってお坊さんにも挨拶にいった。
これがそのお坊さん。上の写真のお寺だよ。壁が緑になったでしょ。



お坊さんは、いろいろ話をしてくれた。お母さんが亡くなったことを言ったら、
気持ちをわかってくれた。スリランカではお母さんを「アンマー」というけど、
自分の叔母さんにも「プンチアンマー」や「ロクアンマー」と言って、お母さんという
名前がつく。お坊さんは「プンチアンマーとか、ロクアンマーとかお母さんという
名前がつく人は何人もいるけど、自分で心から甘えて「お母さん」と呼べる人は
一人だけからね。いなくなったら寂しいね」と言ってくれた。わたしはまたちょっと
泣きそうになっちゃったけど。こういうふうに気持ちをわかってくれて、いろいろ
相談できるところは、スリランカの村のお寺のすごく良いところだなあと思った。

この村をでたあと、クルネーガラのタウンの方に戻って、陽子ちゃんのめざす
孤児院にいった。そこの孤児院は、日本のスプートニクというNGOがサポートしてやっているところだ。
2年前、陽子ちゃんの友達のれいこちゃんがスリランカに来た。最初わたしの家に
2週間くらい泊まって、その後何かボランティアがしたいといって、クルネーガラの
孤児院にいった。言葉もわからないのに、大丈夫だいじょうぶーと言って、一人でバスに乗っていったからわたしたちは心配していたんだけど、スプートニク人がちゃんと
とまるところやいろいろやってくれて、れいこちゃんはすごく充実したステイが出来たという。子供たちもかわいかったし、ご飯もおいしかったよと教えてもらって、わたしたちも今度いったらいってみようと話していたんだよ。

タウンから少し車ではしって、ちょっと森の中にいったところにあるという。
ほんとにこんな田舎なのかな?と心配だったけど・・・



こんなめっちゃ綺麗なところだったー!!!



環境もすごくいいし、良いところだなあと思って中に入った。

庭ではイギリス人のボランティアの女性が2人と子供たちが楽しく遊んでいたよ。



ちょっと外で見学させてもらったけど、ここは日本人の先生が一人いて
子供たちは日本語もならっている。歌をうたっていたのは「ひなまつり」という歌。
イギリス人の女の人も、紙に書いて「アカリヲツケマショ ボンボリニー」と
頑張って歌っていて驚いちゃったでしょう!!!わたしは歌えないのに!



これは何をしているのかというと。「幸せなら手をたたこう」という歌という。
しあわせなら頭たたこう!といって、みんな頭をたたいていて面白かった。


日本語も教えてもらって、すごく良い環境だし、ここは何だかヘブンみたいだなあと
思ったけど。わたしたちが出来ることはなんかあるかなあと言って、先生に聞いてみた。最初、わたしたちはノートや鉛筆とかを買っていこうかと思ったけど、聞いてみると
この孤児院は比較的恵まれていて、そういうノートや鉛筆は普通のスリランカひとが
ちょっとずつでも買って、あげることが出来るから、たくさん集まってくるという。
同じように、服も結構つかったものでも綺麗のものが集まってくるという。
じゃあ、何ができますかと聞いた。

これが子供たちの部屋。この部屋で何か足りないものは?



話を聞いてみると、ここは出来て2年だけど、ずっと困っていたのは
子供たちの部屋にカーテンがないことだという。ここは「ガールズホーム」といって
女の子だけのところだけど、カーテンがなくて部屋が外から見えるから
困っていたという。最初小さい子ばかりだったというけど、段々女の子が大きくなって
いくと、やっぱりカーテンがないと中が見えるみたいで恥ずかしいという。
じゃあ、どうして前からなかったのかというと、やっぱりそれは資金の問題だという。
ノートや鉛筆や服は個人個人がちょっとずつでも買ってあげればたくさん集まるけど
カーテンはたくさん必要で、ある程度大きなお金がないとこの施設全部に
いれることが出来なかったという。

わたしたちはカーテンが良いのか、それとももっと貧乏な施設を探して、何か違うものをあげたらいいのか考えた。ちょっと中を見せてもらった。

ここはキッチン。やっぱりまだガスはなくて、木の枝を燃やして料理している。



ここは保健室だというけど、ここにもカーテンが無いのはどうかなあ。
上のは蚊をよけるためのネットだよ!


ここの先生や経営をする人たちもすごく理解のできる人たちで、わたしたちに
もっと他の貧しい人たちに何かしたいなら、気にしないで下さいと言ってくれた。
だけど、陽子ちゃんとわたしは何かここが気に入ってしまって、せっかく
れいこちゃんやいろいろここに縁があったところだからといって、ここに
カーテンを作ってあげることにした。

その後すぐに先生と近くのカーテンやさんにいって話をした。


先生は、真ん中のピンクのテディベアのカーテンをえらんだ。
陽子ちゃんは小さい声でうへーといった。


そのあと、また先生を孤児院に送って、記念写真をとった。


ほんとはもっと時間があったら、ここにも何日かとまって、おいしいと言われている
ご飯もたくさん食べて、子供たちと一緒に遊んだらよかったと思った。
でも今回の滞在はいろいろあって時間がなかった。
かえるとき、みんな笑顔で送ってくれた。後ろに日本人の男の先生がいるでしょ!


家に帰るときは、もう夜になっていた。クルネーガラの山の仏陀の像の上に
月がきれいに光っていた。わたしたちは何か安心した気分になった。


あの孤児院の子供たちは、最初すごく綺麗な施設で、良い先生たちに教えてもらって
幸せだと思った。わたしが子供のころに住んでいたのは、馬小屋みたいな草と土で
出来た家だったから。あの子供たちは毎日おなかいっぱいご飯も食べれて幸せだと思った。だけど、よく考えてみたら、いくら綺麗な家においしいご飯があっても、お母さんやお父さんはいない。笑顔で過ごしていたけど、ほんとうのところはどうかわからない。あの綺麗な孤児院からちょっと外にでると、道ではお母さんと楽しそうに歩いている子供にすぐ出会う。そのとき、ああ私にはこういう幸せはもう無いと思うにちがうない。わたしはお母さんが亡くなった今、やっとその気持ちが理解できるようになった。
あの先生たちは本当に良いひとたちだけど、やっぱりお母さんという人は
自分の命なんかより、子供を1番に考えてくれて、こどものためなら
どんなことでも頑張ろうとしてくれる。そういう心から甘えたり頼ったりできる存在は
いないんだなあと思うと、やっぱりわたしはどんなに貧乏でも子供のとき
お母さんと一緒に暮らすことが出来て幸せだったと思った。
だから、今、お母さんはいなくなったけど、何かそういう子供たちのために
少しでも出来ることがあってよかったと思った。


それで、最近あの孤児院の先生から、カーテンがついたとメールが届いたよ!
ここはエントランスのところ。陽子ちゃんはぜんぶ熊じゃなくてよかったといった。


ここは食堂。ピンクの壁にカーテンがあっているね!


これは子供たちの部屋。陽子ちゃんはここは何で水色熊にしちゃったかなあと言った!


まぁ、でも外を気にして着替えることはなくなったし、何だか虹色みたいで明るい感じになってよかったでしょ!きっとここの子供たちはすごい良い環境で、とても良い教育も受けているから、大きくなったらいろいろ人を助けてあげられる人になるでしょ!
明るい未来がくるといいね!


そうだ、この孤児院の資金は、この本を売った利益でつくったんだって。
わたしたちも1冊買わせてもらった。内容はみんな頑張ったらできるよ!という話。
この絵はここの子供たちが書いた。良かったら買って読んであげて。
クリックしたら、スプートニクの人が書いたブログ。ちょっとはずかしいけど、10月22日の
ブログに、わたしたちのことも書いてあった!



今日も長くなっちゃったけど、ここまで読んでくれてありがとうございました。
これをどうしても先に書きたかったのは、この孤児院にあげたカーテン代は
わたしたちのお金だけじゃなくて、前からお客さんがスリランカで誰か困っている
ひとのためにともらっていた募金も助けてくれたからだ。
そういう温かい気持ちをもったお客さんの応援のおかげで、こういうことが出来て
本当に感謝している。募金をしようと思ったら、アフリカの子供たちでもいくらでも
できるところはあるけど、わたしたちを信じてくれたのが本当に感謝しないと
いけないことだと思っている。どうもありがとうございました。

それと、この旅行をおわったあと、募金できなかったからといって
最近、あるお客さんがまた大きな募金をくれました。
それはスリランカのことだけじゃなくて、なんでも使ってくださいということだったから、陽子ちゃんは昔からやっていた活動に募金をすることにした。
それは中国のハンセン病の回復村の活動のことだけど。それは長くなるからまた今度かくことにするよ。だけど、年末の忙しい時期に、家族のお世話とか仕事とかいろいろ忙しくて、お金もそんなに余裕がないときなのに、世界で困っている自分じゃない人のことを考えて、なにかできないかと思ってくれる人がいるというのは、日本はやっぱり仏教の助け合いの心がある良い国だと思った。わたしは日本に来なかったら、
そういう出会いは無かったと思うし、そういう人がわたしのお店のお客さんで、
いろいろ勉強をすることが出来て感謝している。
本当にどうもありがとうございました。

お金のことだけじゃなくても、きっとこのブログを読んでくれている人たちは
いつもの生活の中のちいさいところでも、まわりの人たちを助けてあげるような
ピュア気持ちをもった人たちばかりだと思う。
そういう人が出来るだけ、生活がスムーズにできて心がいつも平和で
いつも笑いがたくさんある明るい人生になったらいいといつも願っている。

これから日本はどんどん寒くなるけど、心は負けないで強く
いろいろ元気に頑張れたらいいね。忙しい時期だからけがに気をつけてね。
ありがとうございました。



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